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〒509-7705 岐阜県恵那市明智町849番地の2院長 山田章善(やまだ あきよし)
山田診療所と前院長(山田宣孝)の紹介
初代の祖父母、山田耕、麻は当地の名家“やま屋”の新家にあたり、昭和13年、町内の有志と明智耐火煉瓦(現明智セラミックス)を創立しました。企業家として戦時体制に協力し、川崎鶴見の日本鋼管を支え、明智町に数々の業績があります。昭和22年、明智耐火煉瓦を多治見工場から発展した東京窯業に経営権を譲渡し、兄弟会社として現在明智セラミックスが存続しています。
2代目の父義郎は、江田島の海軍兵学校の教官、海軍大尉にて終戦を迎え、短期間、明智耐火煉瓦に勤務後、四日市市民病院、明智町立病院(当時)勤務を経て、昭和24年(1949年)明智町に山田診療所を開業。昭和48年、当地を襲った水害により診療所が壊滅したのを機に診療所を新築しました。当時は稀であったレセプト電算化システムを導入し、外科、内科、小児科を担当。19床の有床診療所を運営しておりました。100
前院長の山田宣孝は山田家の3代目。1947年明智町にて生まれ、明智小学校を卒業。進学のため名古屋の親戚の家に下宿し名古屋市立振甫中学校へ進学し、卒業。
高校は愛知県立旭丘高校に入学(17期生)。この高校は旧制愛知一中で第2回旧制中等野球甲子園大会優勝校としても有名です。また戦前、当時の日比野校長(旧制中学)がマラソンを奨励されたことから、質実剛健を校風、文武両道、全人教育を校是とした学校でした。三年間柔道部に所属し楽しく学園生活を過ごしました。
日本医科大学を卒業、同大学大学院(内科、放射線科、病理学)を修了。卒業後、東京都北区民衆立北病院(150床)総合病院化に参加しました。内科を中心に在宅医療、人間ドック、腎臓透析、病理検査、病理解剖を担当し(約6年間)、この間、漢方医学、心身症医学も学びました。この病院(合併して現王子生協病院、350床)では、内科、外科、脳外科の三人当直体制をとっており、金曜朝から月曜夕方まで72時間連続勤務をしたこともありました。超過重勤務でした。
その後、大学の教授に呼ばれ日本医科大学の病理学教室に復帰。明智町にて恵那医師会会員として山田診療所の非常勤医(週1日、約25年間)をしながら、研究生活をつづけました。日本医科大学付属第一病院(360床)にて病理部長を担当。同助教授、同大学付属病院(1,200床)病院病理部責任医師兼務を経て、同大学学長補佐として対外交渉・海外留学生・医学生海外研修を担当。また学生時代より続けた日本医大東南アジア医学研究会の副会長を務めました。
2007年1月、医療法人医済会を設立。この地域で初めての電子媒体によるオンライン請求、電子カル
テによる病歴管理を実現。
2007年10月、診療所新築完成を機にレントゲン設備を更新し医用画像管理システムによる放射線
業務を開始。
2009年6月、骨密度測定機器を整備。
その後、2代目義郎と同様に体調を崩す。地域の皆様や近隣の医療機関に支えられながら、
また娘達・息子達と協力しながらもなんとか診療を続けていましたが、勇退。
2016年9月、4代目の(内科医)山田章善が院長となる。
(外科医)ヘイムス規予美医師・(内科医)玉木祐希江医師とともに地域の皆様に支えられな
がら、そして近隣の医療機関と協力しながら診療にあたっています。
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